僕の中での理想は、こんな感じでした。
まずは徹底的に自立するのだと。
理想を100とすると、90ぐらいになるまでは、相互依存なんてことは考えずに、ただひたすら自立することにエネルギーをそそぐべし。

でも、そうやって何年も過ごしてゆくと、疲れるんですね。
「自力」で何もかも上手くゆくようにしないといけない、なんて思い込んでいるもんだから、追い詰められて他人の力を借りると、なんかとても情けなくて自分を責める。
その割には、全然自立度が上がってゆかないから、そっちでも悶々とする。

いっそ徹底的に「依存」しちゃえば楽なのにね。
だってみんな「依存」し合いながら、楽しそうに暮らしてるやん。

でも、そんな自分は許せない自分がいる。自分ってなんやっけと、しまいには分裂するわけです。

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それで、そう、たぶん7年ほどやってきて、今年に入ってから、いろいろとブレークスルーが起こって、そのころからblogを書いてたら、そのあたりの紆余曲折を書けたかと思うのですが(※1)、あとの祭りでございますので、結論っぽいことを書きますね。

 自立するために「他力」は必要なんだ。

もともと修行系のところがあるのもあって、自立への道が超のつく「自力」になっていた。というか「他力」を排することが自立への必要条件だと思い込んでいた。思い込んでいただけなんです。

まわりのいろんな人たちの力を借り(※2)つつ、どんどん自立していくことこそが、相互依存への道。だってある日突然「相互依存」状態が手に入るわけではないですもん。
自立度が30であろうが50であろうが、見切り発車であろうが、相互依存への道を歩みだせばいい。

「他力」(※3)で自立しつつ、気が付いたら「相互依存」。

ええ感じやと思いませんか?


※1:今年に入ってから特にそうですが、時間の経過が無茶苦茶で、あとから思い出しても、前後関係がハッキリしないことが多い。たぶん直線的な時間というのは、相当崩れていますね。

※2:「なんでも自分で」の大きな弊害の一つに、「感謝することがどんどんなくなってゆく」というのがあります。

※3:ワンネスの立場からすると、「他力」もまた「自力」です。というか、すべてが「大いなるものの力(神の愛の力)」です。


みなさんに愛と光を!( もりおん )