ん~。
さっきから、ごま油くちゅくちゅしながら、思案しておりました。
これを、どのカテゴリーで書いたらいいのか。

実はこんな些細な思案の中にも、「戒律」は潜んでいるのです。
そしてこの「戒律」たちが、「他人(ひと)を裁く」のです。
もちろん、最大の犠牲者は、この愛おしい自分です。

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例えばある休日のお昼に、知人とファミレスに入ったとします。
結構混んでいるのに、スタッフが充分でない状況です。

「ん~、数分たってんねんけど、まだ水も来てへんやん。」
(サービス業は、忙しくても、注意を行き届かせて、客を満足させなければいけない)という戒律

「だいたいなぁ、こうなることぐらいわかってんねんから、ちゃんとスタッフ配置しときぃや。人件費けちってんのとちゃうか?」
(経営者は人件費をけちるべからず。従業員にも負担をかけるし、客の心象も害する)という戒律

心の中の声「こんな状況やから、食事にありつけるまで、楽しく話がしたいねんけど、さっきからこの人(知人)、お腹すいて機嫌悪いんか、話にのってけぇへんよな。」
(一緒に食事に来ているときには、機嫌よくいるべきだ)という戒律

ほんの数分の間に、3つもご登場されましたね。<汗>

「〇〇は△△であるべきだ。」という形で書けるものは、ほとんどが「戒律」になると思われます。

僕の中にも、かなり減ったとはいえ、まだまだ「〇〇は△△であるべきだ。」がい~っぱいあります。

なんでこれを「フォーカス」のシリーズで書いているかと言えば、自分の中の「戒律」を持ち出してきて、他人を裁くとき、当然のことながらフォーカスしているものがあるからです。

「『〇〇は△△であるべき』なのに、そうではない」にフォーカスがあたって、そこに怒りのエネルギー(パワー最強っすよ)が注がれると、近い将来「『〇〇は△△であるべき』なのに、そうではない」という現象が、身の回りで起きます。それもほんのりパワーアップして。

そんなわけで、自分の中の「〇〇は△△であるべきだ。」くんと、ちゃんとお話をして、「もう充分役に立ったよ。ありがとう。」って言って、消えていただきましょう。

そうそう、ゆめゆめ、「自分の中の『戒律』は、減らしてゆくべきだ。」という戒律を作らないように、お気をつけください。


みなさんに愛と光を!( もりおん )