「愛と光」と、たま~に毒舌


大雑把にいえば、もりおん(ちなみに男性)の、アセンション日記です。

3次元にしっかり足をつけ、ガイアの上での日常を楽しみつつ、 高次元とどう繋がり、どう生きてゆくのかということを、書きます。

聖人君子ではないですから、時々毒舌が混じります。

カテゴリ: バーソロミュー

ここ最近いろいろなことがあり、また少し「お金に関するブロック」がはずれました。

バシャールがよく言う「ワクワク」について、ぼぉっといろいろ感じていて、なんと、なんとです!
ちょっと前の自分なら、ぜ~ったいに認めなかったことに気付いたのです。それは、

「自分は、お金が絡まないことには、ワクワクを感じないのだ。」 ということ。

(書いてしもたぁ。<汗>)

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眠ろうとして、寝室に置いてあるバーソロミューの3巻が目に留まり、いっぱい付箋が付いているのですが、それ以外に1枚だけハガキがはさんである、そのページを開くと、

お金が欲しいのだったら、世界を動きまわっている膨大な量の金銭エネルギーに全意識を集中させるのです。その場合に、どのようにしてお金を手に入れるか、という具体的な方法は考えずに、自分のほうへお金がやってくるのを想像してください。このエネルギーに意識を集中するときに、イメージに描けるのならそれを体験することもできるのだ、ということを覚えていてください。自分に限界を設けるような考え方が浮かんできたら、いったんそれらの存在を認め、それからまた意識をもとのイメージに戻すのです。それらの無限の可能性とあなたのあいだには、どんなへだたりも存在しません。

神に近づくのもお金を手に入れるのと同じやり方を使います。まったく同じです。お金を探すことと神を探すことが同じではないと考えているとしたら、その人はたぶんどちらも手に入れることはできないでしょう。いいですか。
神がいなかったら、お金は存在できません。お金のパワーというのは行動する神そのものです。どうかこれらを切り離さないでください。神というのは、この世でパワーを持って生きていきたい、そしてやりたいことを自分はしているのだと感じながら生きていきたい、という魂の願いなのです。それが行動する神です。

神は本を売ったり、コンピューターを操作したり、教えたり、勉強したりします。神は子供を愛し、美を創造し、トラックを運転します。神は他人を助けます。神は在るのです。切り離さないでください。切り離したとたんに、人はパワーを失います。この点をできるだけ深く心で受け止めてください。

(バーソロミュー3 p.118~p.119 より)


この時のために、神は本にハガキをはさんでくれたのだ、と思います。


みなさんに愛と光を!( もりおん )

今夜は、あともう一つ書くことがあった、はずなのです。

ところが、何を書くのかが分からない。分からないけれど、こうして書いているうちに、静かにモードが変わってきます。自分のこの小さな頭をフル回転させて書いているのではなく、書かされている感じになります。

キーを叩いているのは自分だし、紡がれてゆくのも自分の言葉。でも、何か普段の自分じゃないものが書いていて、普段の自分が最初の読者って感じになるのです。

いま、少しずつそんな感じになってきました。

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バーソロミューのチャネリングは、もうとうの昔に終わっているのです。あるとき、バーソロミューは、いついつで(本を見れば書いてあるのですが)チャネリングを終わります、と宣言したのです。

終わったあとは、さようなら、ではなく、もう、みなさん一人ひとりが、必要なときにバーソロミューと繋がって、情報を得ることができるから、これまでの形の交流は必要がなくなるのだと。

実は僕がバーソロミューを読みだしたころには、もうチャネリングが終わっていて、それならもう繋がって交流できるのかというとそうでもなくて、だから、ただただ、毎晩、特に最初のうちは、なかなかその世界に入っていけなくて、でもこれは絶対に自分にとって必要だという強い直観がありましたから、数か月読み続けました。

そのあとも折に触れては読んでいたのですが、そのことは忘れていて、つい最近思い出しました。

それで、繋がってみたのですが、確かに何か繋がって交流している感じがあります。
ただ、僕が媒体となって、不特定多数にメッセージを伝える状況ではなく、僕の個人的な必要で繋がっているので、はっきり言語化されていなくて、必要なことはどうも潜在意識に直接行っているように思います。自分の中の確かに何かが、見えない外の存在と繋がって、交流しているのだけれど、詳しくは良くわからない。

そんなことを感じながら振り返れば、確かに本当に必要なときには、何がしかの方向性というか指針というか、道標を示してくれていたように思います。

目には見えないし、何をしてくれているかもわからないけれど、でも自分のことを愛し、護ってくれている応援団のひとりだということは確信しています。

バーソロミュー、これからもよろしくね。


みなさんに愛と光を!( もりおん )

最近ソーメンにはまっていて今夜もソーメンで満腹ご機嫌なところのもりおんです。

とまぁ、こんな感じで始めると、んんって違和感、感じませんか?

チャネリングメッセージを、こんな感じの日本語に訳される方が、まだおられるのは、困ったもんです。

もりおんです。最近ソーメンにはまってましてね、実は今夜も食べました。満腹でご機嫌です。

って感じで訳していただけると、うれしいなぁと思いつつ・・・。

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さて、今夜は、バーソロミューです。
仕事が終わり、リン(メスのチワワ2歳)の待つ寝室へ入って、よしよししながら(よしよしされながら、ともいう 汗 )、ふと空気清浄機の上を見ると、バーソロミューの一冊目が置いてあるではないですか。
誰がこんなところに置いたんやろ、と思いつつ手に取ると、またまた沢山の付箋以外に、ファミマのレシートが1枚だけはさんでありました。

人生は相反するものが存在する二極性のものであるという事実を受け入れ、ソウル・グループというものが存在するのだということをじっくり考えてみると、自己憐憫や孤独感、どう自分の人生を生きたらいいかわからない、などという不安を取り除くことができるようになります。なにしろ、その道のエキスパート群がすぐ近くにひかえていて、いつでもアドバイスをくれるのですから。あなたのまわりにあるエネルギーからは、常にメッセージが送られてきています。それに耳を傾ければいいのです。眠っているときも、起きているときも、メッセージに耳を傾けてください。ソウル・グループのエネルギーは夢に現れて人々を導いてくれます。夢は、その人が今必要としていることを気づかせてくれます。こういう強力なメッセージを持つ夢をパワードリームと呼びますが、こうした夢は、はっきりとわかりやすい形でアドバイスをくれます。

(つづく。)



今日の昼間は、乗り切るのに精一杯なことが2つ連続でありました。
渦中にあるときには、ただ夢中で対応していたのですが、かなりうれしい結果となりました。
過ぎてみればしみじみ、生かされてるなぁ、護ってもらってるなぁ、ありがたいなぁ、なのです。

こういう時に聴きたくなるのが、 吉田美奈子 『 午後の恋人 』
ライブバージョンですが、リズムセクションがたまらなく心地いいのです。
がんばった自分には最高のご褒美。

あ、そうそう、そうでした。
バーソロミュー、続きです。

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「こういうメッセージをくれるあの世はあちらにあって、自分たちはこちらにいる。だから自分が死ぬまで、あの世とは関係がない」などとは思わないでください。あの世にいるソウル・グループのメンバーとのほうが、肉体を持った人間よりも話しやすいし、よく理解してもらえるということもあります。なぜなら、同じソウル・グループのエネルギーのほうがずっと自分に近いからです。ソウル・グループのエネルギーは常にその人を囲んでいるし、神からの啓示体験のようなヴィジョンを見せてくれたり、守護天使がそばにいるという感覚を与えてくれたりします。各ソウル・グループには悟りを開いた者がひとりかふたりはいて、アドバイスをくれます。

肉体を持っている者としかコミュニケーションができないと思いこんでいる人は、心の奥からたえまなく聞こえてくる導きの声という、パワフルな知恵の泉から自分を切り離しているのです。こういうことを信じるか信じないかは、あなたの自由です。私たちは気長に待ちます。けれども、これまでの思考の枠を打ち破り、もっと自分の考えを広げ、意識を拡大したいという強い欲求がひとりひとりのなかにあります。こうした欲求が、最終的には、ソウル・グループを自分に引き寄せます。

(バーソロミュー p.51~p.53 より)


レシートをはさんでくれたのは、ソウル・グループだと思います。


みなさんに愛と光を!( もりおん )

リンと寝室へ入ってふと見ると、ここ数日見つからなかった「バーソロミュー3」が目に入りました。

付箋をしてあるところを、順に見ていって、たぶん4年ぐらい前につけた付箋なので、今から思うと「何故ここに?」ってのもあったのですが、あるところで目が釘づけになりました。

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どんな例外もなく本当に愛を感じるようになると、愛が自分を縛ったりしないことがわかります。それは深い解放感です。感情のゴタゴタから自由になりたいのでしたら、愛さないようにするのではなく、もっと愛してください。愛することを通して、人はパワフルになり、エネルギーに満ちあふれ、生き生きとしてきます。その結果、いのちを育む道を選択するようになり、エゴにもとづいた反応をしなくなります。愛がまったく新しい世界を開いてくれます。そこでは誰もが勝利者となり、もっと多くの愛が生まれます。

(バーソロミュー3 p.223 より)

一緒に読んでいたR2が、これも「強く待つ」ってことやね、と言ってくれました。


みなさんに愛と光を!( もりおん )

昨夜、バーソロミュー3につけられた付箋を順に見ていったときに、もう一ヶ所、おぉと思ったところがありました。

4年前にも、何か思うところがあってここに付箋をつけたのでしょうけれど、また違う意味で、ここに書かれたことが、今また重要であると思います。

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愛というのは単なる想念ではありません。愛とは肉体感覚です。それは肉体のなかにある動きであり、外で何が起きていようとも、すばらしい温かさと安心感を生み出すものです。神を熱心に求めている人たちのなかには、<肉体のなかにある>という言葉を聞いたとたんに抵抗を感じた人もいるでしょう。というのも、多くの宗教が肉体を否定するからです。その結果、霊性を高めるという目標を達成するには、肉体という障害を乗り越えなければならない、または、霊的体験をするには肉体を無視しなければならない、という考えが生まれます。

ところでみなさん、誰でもみな肉体を持っているということに最近気がつきませんでしたか?それぞれの肉体に独自の感覚があり、独自の調和があり、独自の本質が備わっています。人間の体というのはユニークですばらしいものです。地球界で肉体を使って実験しようとあなた方が最初に決めたとき、神の愛の存在を感じるという深い喜びも、ともに肉体で感じようと決めたのです。それには、まず自分の肉体のなかにいなくてはなりません。自分が肉体を持っていることさえまったく忘れて、長い期間生活している人がたくさんいます。頭のなかでだけ生きている人もいれば、<心ここにあらず>という状態で、宙に浮いて生活している人もいます。体のなかにある<いのち>を感じることがいかに大切であるかが理解できるようになると、人はそれを感じる方法を見つけようとします。


(バーソロミュー3 p.206~p.207 より)


A1と話し込んだあと寡黙になっているR2から、何か伝わってきているのを、さっきから感じます。

今夜はR2と、言語によらない気持ちのコミュニケーションでもすることになるのかな。
それはそれで、ワクワクします。

「いい人」だと思われたい症候群(治療法)を書いたあと、なんか心がもごもごするので、探ってみました。
それでわかったのは、自分にとっては結構衝撃的なことでした。

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だって、ごく一部なんですけれど、自分にとってとても大切な部分に、「いい人」だと思われたい症候群が残っていたのですから!

勘が鋭い方はお判りかと思いますが、「恋愛」絡みのところに、しっかり残っていました。

他の誰に対しても、「いい人」だと思われたい症候群は消滅しているのですが、ただ一人Rに対してだけは残っている、それもかなり。<汗>

これでは上手くいきません。

それで、治療を試みたところ、今日のLINEでのやり取りに変化が見られました。 (^O^)

ただ、それだけで満足せずに、もう一度「自分を愛する」ということを考えてみようと思って、バーソロミューを読み返しています。(たぶん10数回目です。)

せっかくですので、その中から付箋が付いていたところを、引用してみます。

ひとり心静かにすわって、「私は自分を愛しています」と唱えはじめると、自分のなかでいやだとかよくないと思っていることが、次々と頭に浮かんできます。「私がこんなにダメな人間でなかったら愛せるのだが‥‥‥」、「嫉妬深くなかったら‥‥‥」、「怒りっぽくなかったら‥‥‥」、「こんなに太っていなかったら‥‥‥」、「こんなにやせていなかったら‥‥‥」など、今まで考えたこともなかったようなことまで、次々に浮かんでくるでしょう。こうしたリストを紙に書きとめてみてください。とにかく書きだしてみて、それからどんなに時間がかかってもいいですから、その内容を逆のものにしてください。「ダメな人間である、そういう自分を愛します」と書き換えます。今まで自分で愛そうとしなかった部分、さげすんできた部分のすべてを愛する努力をするということです。

(バーソロミュー p.94 より)


みなさんに愛と光を!( もりおん )

「自分を愛する」ことを、引き続き追求している、もりおんです。
簡単なようで、なかなか難しいですが、難しいと決めつけてしまうと、ほんとに難しくなりますから、少しずつでも「自分を愛する」度合いが増してゆくように、研鑽中です。

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バーソロミューの「自分を愛する」という章を、繰り返し読んでいます。
何度読んでも、新たな発見があります。
今日はそのなかから、一部引用します。

自分のなかにいやな感情を感じた瞬間、自分にこう言うのです。「私はこの感情を愛します。それを歓迎します。この感情は、去る必要もなければ、変わる必要もありません。私の一部なのですから。私はこの感情を受け入れます」そうすると、心のなかにいつもある温かさが、この「岩」の方に動いていきます。そして、ゴツゴツした岩をなめらかにし、それを囲み、ボロボロにしはじめます。つまり、この「岩」に対するあなたの愛の力を通して、「岩」はその愛を自分の身につけます。それはあなたの愛で満たされます。愛がこの「醜い」感情のかたまりに注ぎこんで、それを囲み、高揚させます。そしてこの感情は「愛にあふれた」感情に変わるのです。

そこで、人は、自分の持つ愛とそこにある苦しみというふたつのものを、同時に感じることができることに気づきます。愛の力は限りなく大きく、愛が内包できないものは何もありません。この限りない愛の力を使うことこそ、あなたが学ばなければならないものです。愛する者を失った悲しみがどんなに大きくとも、心のなかに、その悲しみと、限りなく大きな愛を同時に持つことは可能です。どちらかを選ぶ必要はないのです。嘆き悲しみたいときは、思いきりそうしたらいいのです。病気をしてもいいのです。どんな悲しみも後悔も罪悪感もすべて思いきり感じていいのです。あなたの心のなかにある愛は限りなく大きなものですから、どんな感情も包みこんでくれます。

何も心配する必要はありません。感情はあなたの子供なのです。それはあなたの子供です。子供たちが欲しいのはあなたの愛です。その感情を生んだのは、ほかならぬあなたなのに、あなたはそうした感情をまるで親なし子のように扱っています。けれども、それを創りだしたのはあなた自身なのです。

これらの否定的感情をあなたの愛であたため、受け入れてやることで、「変化」や「自己変革」が現実のものとなります。自分は限りなく大きな存在であり、どんな感情を抱いても大丈夫なんだと確信できると、何ものも怖れることがなくなります。この世に存在するもので自分が内包できないものは何もないのだとわかると、こわいものがなくなります。

愛する者を失った悲しみがどんなに大きくとも、どんなひどいことが身に起こっても、その感情を自分の心に抱き、なだめ、あたため、心を開き、愛することができるのです。大きな心の痛手を受けた人も、それから逃げないでください。それを愛してください。あたたを傷つけた人を愛するというのではありません。そうではなくて、その苦しみの感情を愛するのです。

(バーソロミュー p.90~p.91 より)


みなさんに愛と光を!( もりおん )

大好きな歌で、カラオケで歌うとめっちゃ気持ちが良くて、人生のいくつかの局面でささえてくれた、たぶんこれからもささえてくれるだろう歌です。

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バシャールもそうですが、僕にとってバイブルとなる本は、やっぱりバーソロミューの3冊+2冊かなと思います。
バーソロミューは、何度読んでも、新しい発見がたくさんある。

梅田の紀伊国屋で、何故か平積みにされていた1冊目に、呼ばれたのです。
ちょうど、スピリチュアル系からは、ちょっと遠のきたかったころでしたから、買おうかどうか相当迷ったけれど、たぶん心の奥底の答えが「絶対に買え」だったのでしょう。
ただ、最初は、なかなか頭に入ってこなくて、1章を読むのに相当時間が掛かったことを、懐かしく思い出します。
その後2冊目、そして3冊目を読み、旅日記の上下(これもまた違った意味で刺激をくれました)と読み進め、あとは折に触れて何度読んだことか。
いくつかの章は、たぶん30回近く読んでいます。
それでも、また読めば、新たな発見があります。

ピアニストに、無人島へ移住するとして、1冊しか楽譜を持ってゆけないとしたら、何を持ってゆきますか?
と訊くと、バッハの平均律か、ベートーベンのピアノソナタ全集かで、悩むんだという話を、遠い昔に聞いたことがありますが、僕ならば迷わずバーソロミュー。ただし、お願いして(誰に? ww )3冊持ってゆきたい。
そうそう、さっきの話、無人島に、ちゃんとピアノが運べるのでしょうか? ww

長々とバーソロミューのことを書いたのは、ある意味この歌の歌詞も同じだから。
ずっと歌ってきたので、今では勝手に歌詞が出てきますが、それだけ歌い込んでも、歌詞の意味がわかったようでわからない。聴く時、歌う時が変わると、違ったイメージが浮かび、違った解釈が生まれます。


 中島みゆき 『 愛から遠く離れて 』


出だしの、「 愛から遥か遠く離れてしまう時が この世にあると思いもせず いられた自分が懐かしい 」からして、意味深です。
僕の解釈はいくつかあって、定まりません。

「 一番好きな服を着て 一番好きな私でいよう いつか或る日思いがけず  船が出るかもしれないから 」
これは、たぶん、「 自分のことをしっかり愛し続けてくださいね。いつかある日、思いがけずアセンションする時のために 」というのが、最近の解釈です。

「 愛から遥か遠く離れて生きる人は 寄せては返す波と同じ どこへも逃げぬ囚われ人 」
最近では、「 愛から遥か遠く離れて生きる人 」は、グレイのような種族のことのような気がします。そして、誰しも突き詰めてゆけば、グレイ的なところがありますから、「 そうならないでね、旧い地球に囚われて残されてしまうよ。 」みたいな意味かもしれません。

いわゆる「 恋愛 」のことを歌っているようで、そうでないところが、中島みゆきの存在が巫女的である所以です。

「 一番好きな人がいた 一番好きな私がいた いつか全ての思い出が 遥かな海へと変わるから 」
遥かな海は、「 おおいなる一つ 」のことでしょうか。僕にはそのように思われてなりません。

「 時計を海に捨てに行こう 永遠のリフレインに 」はもっとも謎な部分です。
でも、解釈はこれくらいにして、歌の世界に浸って、魂で感じてみようと思います。

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