「愛と光」と、たま~に毒舌


大雑把にいえば、もりおん(ちなみに男性)の、アセンション日記です。

3次元にしっかり足をつけ、ガイアの上での日常を楽しみつつ、 高次元とどう繋がり、どう生きてゆくのかということを、書きます。

聖人君子ではないですから、時々毒舌が混じります。

カテゴリ: 「いい人」

フォーカス(5)で、「『いい人』を演じちゃいけません。絶対に!』と書きました。

かなり昔から、聞いていたことだったのですが、「自分は別」というのがどこかにあって(傲慢ですよね<汗>)、サービス業を続けるうちに、やっちゃってたどころか、ずぶずぶ入りこんでました。

身に染みて、いろんなこと経験して、もう今後一切それはやめようと思えたのが、昨年の話です。

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まぁ、自分のことですから、いくらでも経験したことは書けるのですが、それを書いてもあまり意味がないと思うので、何故やっちゃいけないか、ですが・・・。

その前に、<汗>

そもそも、『いい人』ってなんだろう、というところを整理したいと思います。

(1) 要は「どうでもいい人」
「もりおんさんってどういう人ですか?」って聞かれて「いい人ですよ。」って言われるのは、僕はちょっと嫌です。
一般的な話ですが(僕のことではないですよ)、「格好がいい人」「性格がいい人」「金払いのいい人」「面倒見のいい人」「ルックスのいい人」「趣味がいい人」「頭がいい人」、本当にその人のことを大切に思っているなら、単に「いい人」とは言わないと思うのです。

(2) 自分にとって「都合のいい人」
自分のことを良く言ってくれる人、自分の都合に合わせてくれる人、自分のニーズを満たしてくれる人。

(3) 「いい人」だと思われたい症候群の人の友人・知人の人たち
「いい人」だと思われたい症候群の方は、自分の友人・知人たちのことを訊ねられると、決まって「あぁ、あの人はいい人ですよ。今度紹介しますね。」などとおっしゃいます。まぁ、その後紹介されることはないのですが。
自分の友人・知人たちはみんな「いい人」で、何故かというと自分がとても「いい人」だから、という理屈のようです。

まだまだ、いろんなタイプの「いい人」がいます。もしかしたら、自分も「いい人」って言われたり、思われたりしてるかも。

でもです。「いい人」って実は、とっても厄介なのです。

(あと何回か続きます。)

「自分の経験したことを書いても、あまり意味がない」なんて書きましたが、やはりちょっと書いておこうかと。<汗>
まぁ、いろいろ思い出して、ちょっと「毒舌」をはきたくなったのです。<大汗>

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たとえば、自分が本当に「いい人」だと思う人がいて、その人のことを「あぁ、○○さんていい人やなぁ。」って思うのは、その人の自由であって、それをとやかく言いたいわけではありません。

と、ここまで書いて、これは「いい人」だと思われたい症候群の人、に話をしぼった方がいいなと思いました。なので、しぼります。

もりおんの遭遇した例を挙げます。

まずはAさん。Aさんには「いい人」である友人・知人がたくさんおられるようなのですが、そのうちの一人、Bさん(僕は会ったこともしゃべったこともない)のことを、当時よく聞かされていました。
たまたま、仕事上でそのBさんとつながりができて、電話でじっくりお話をしました。

そのあと、Aさんとの電話で、「そういえば、Bさんと電話でお話しました。」と言ったもりおんに、Aさんはなんと言ったでしょう。(って、クイズでもないので、どんどん進めますが)

Aさん 「Bさん、僕のこと、なんかおっしゃってましたか?」

もりおん 「いや、仕事の話だったので、特にAさんの話は出ませんでしたけれど。」

Aさん 「そうですか・・・。」

それから、Aさんのテンションはがた落ちで、しばらく話しましたけれど、最後は、

もりおん 「じゃあ、まぁそういうことで、失礼します。」

(ぷちっ) ← 電話を切る音です、念のため。

人づてに聞きましたが、その後Aさんは、「僕がBさんを紹介してあげたのに、もりおんは初めての電話で、僕のことを何も話さなかったらしい。」とおっしゃっていたらしい。(紹介してもらった覚え、全くないんですけれどね。)

いやぁ、Aさんって、とっても「いい人」でしょ? <笑>

アセンション系のブログ、いろいろと読みます。
その中で、書いておられることはいいなと思うけれど、なんかちょっと違和感があるなぁってことがあるのですが、最近わかったのです。
そういうところって、綺麗事が多いのです。理想が高くピュアなのは悪いことじゃないけれど、ちょっと息がつまる。
ということで、もりおんは、こうして毒舌も吐くのであります。

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今度は、もりおんのよく知っているPさんとQさんの話。

Pさんは「いい人」だと思われたくて、リップサービスがオーバーになってしまうところがあります。オーバーというか、悪く言えば虚言癖なのではないかと思うぐらい。

あるとき、Qさんは、仕事場でのコミュニケーションを円滑にするために、仕事場にカメラを導入する件で、業者から高額の見積もりを出され、悩んでいました。

Pさん 「いまどき、そんなの、10分の1以下の値段で出来ますよ。僕、前の仕事の絡みで、そのあたり詳しいですから、やりましょうか?」

ありがたく頼んだQさんの携帯に、ずらずらとURLの並んだメールが送られてきました。
訳がわからんというQさんの要請で、メールを転送してもらったもりおん、開けてびっくり、いろんなメーカーのカメラが出てくるわ出てくるわ・・・。

もりおん 「こんなん、素人には選びようがないので(実は僕はちょっと分かるけれど、関わりたくない)、Pさんにお薦めを絞ってもらった方がいいのでは?」

結局いろいろあって、PさんとQさんは、一緒に大きな電気屋さんに買いに行って、同じカメラを5個買ってきました。その時のやり取り。

Qさん 「カメラを壁や天井に付けるのは、業者に頼んだ方がいいのでは?」
Pさん 「前の仕事のときに、無理言われて、夜中に独りで何台も付けたことがあるので、大丈夫ですよ。任せてください。」

後日、いざ付けるとなったときに、おどおど(ちょっとイライラ)しているPさんに、Qさんが声をかけたところ、「僕、カメラ付けるの初めてで・・・。」<爆>

結局業者さんが付けてくれました。<めでたし、めでたし>

さて、実は5個のカメラからの映像を、PCの画面で分割して、同時に見られるようにするのも、目的の一つだったのです。この件に関しても、

Pさん 「そんなん、今時のカメラ、どれでもできるようになってますし、PCの方も簡単にできますから。」

実際、作業をする段になって、Pさんは3時間近く格闘したあげく、イライラし出したので、Qさんは「今日はありがとうございました。遅くなってもいけないので。」と気遣い、帰っていただくことにしたそうです。その時の捨て台詞が「恐るべし」。

Pさん 「一緒に買いに行った時、言いましたよね。こういうことになるリスクがあるって。」

数日後、PCのことに詳しい同業者(もちろん専門家ではない)が遊びに来た時に、事情を説明して頼んだところ、ものの10分で見事に完成。<めでたし、めでたし>

Qさんに「いい人」だと思われたかったPさんは、Qさんとは疎遠になってしまいました。

ちなみにもりおんは、Pさんから後日、「まだQさんと付き合ってるんですか!」と言われたのであります。


ねっ、Pさんって、すご~く「いい人」でしょ? <笑>

「いい人」恐るべしという記事を書いちゃったおかげで、「自分のことは書かなくていいの?」という声が、自分の内部から聞こえてきます。微かですけれどね。
僕の中にもまだ少しだけ、「いい人」だと思われたい症候群が残っているのですね。

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黒猫パンチャーさんが寄せてくださったコメントの中に

「いい人」=「構われたがり」=「寂しがり屋」=「愛が欲しいだけ」

というのがありまして、この等式(僕もほぼ同意します)を借りて、ちょっと昔の自分について書いてみます。

「いい人」=昔の「いい人」だと思われたい症候群全開だったころのもりおん、ということで始めます。

まず、心の中には、「自分はこんなに『いい人』なのに、どうしてまわりは理解してくれないんだろう。それどころか、まるで自分が『悪い人』であるかのごとく、批判されたり非難を浴びせられる。あぁ自分はなんてかわいそうなんだろう」というのがありましたね。自己憐憫ってやつっすかね。<笑>

自己憐憫状態にあると、底知れぬ「寂しさ」に付きまとわれるわけです。

去年の夏でしたか、「自己憐憫」の世界に住む人は、「自己憐憫」の原因となる現象を、さらに引き寄せる、というメッセージ(どなたか忘れました)を読んで、「自己憐憫」の世界からは脱却しました。

まず、大前提となることなんですが、「いい人」だと思われたい症候群の人は、「自分」=「いい人」だと思い込んでいるのですが、そもそも「いい人」かどうかを決めるのは、誰でしょう?

そうです、一般的にそれは「まわりの人」です。そしてその評価は、もりおんがその人にとってどんな人に見えるのか、ということだけなのです。たったそれだけ。
はっきり言って本当は、自分が「いい人」である必要は全くない。
「自分」=「自分」でいいのです。

自分が「いい人」だと思っていたもりおんは、例えば、飛び込みでやってきたコピー機の営業さんに、何故か「いい人」だと思って欲しくなってしまうのですね。それで、まだリースが半分も残っているのに、なんじゃかんじゃと自分を納得させる理屈を作って、コピー機を借り換えてしまうのです。結局残ったのは、普通に借りる金額の倍ぐらい、月々口座から引き落としが掛かる状況。(たった3人の営業さんに「いい人」だと思って欲しいと思った結果がこれです。<大汗>)

自分のことを「いい人」だと思い込んでいると、初対面の人と会ったときに、その人に自分のことを「いい人」だと思って欲しくなります。だってもう知ってる人の「自分に対する評価」は、だいたい分かっていますからね。自分のことを「いい人」だと思ってくれる人を増やして、自分の評価を高めたいわけです。初対面の人は自分のことを「いい人」だと思ってくれる可能性がありますから、そういう人に「構ってほしい」わけです。営業さんにとっては、いいカモですね。

う~ん、たぶん大元をさぐれば、それはまだ小さな子供だったときに、「愛が欲しければ『いい子』にしていればいい。」と、エゴが学んだのでしょうね。
そしてそれ以来、まわりの迷惑を顧みず(だって、大迷惑ですよね)、ひたすら「いい人」になるための修行に励み、それだけ励んだのだからという根拠で、自分は「いい人」なのだと思い込み、その成れの果てが、「自分はこんなに『いい人』なのに、どうしてまわりは理解してくれないんだろう。それどころか、まるで自分が『悪い人』であるかのごとく、批判されたり非難を浴びせられる。あぁ自分はなんてかわいそうなんだろう」という想いを抱えた、「構われたがり」で「寂しがり屋」で「愛が欲しい」大人となるのですね。

ということはです、「いい人」だと思われたい症候群の治療は、自分がそうだということを認めて、治療する気になりさえすれば、とてもシンプルで簡単なわけです。(それは次回にでも。)


みなさんに愛と光を!( もりおん )



シリーズものを書いていると、いつまででも続けていたいやつ(もちろんネタ切れで終わらざるを得ないものもあります)もあれば、最初の構想とはうらはらに、とっとと終わらせよう、はいおしまい!ってのもあります。

よって、「いい人」シリーズは、これにて、はいおしまい!です。<笑>

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具体的な処方箋を挙げれば、ぞろぞろぞろと次々にいろいろ出てきそうです。
そのうちの3つ書いてみます。
で、次の(1)~(3)を、一つだけでもいいし、全部できれば全部やってみる。
(やってゆくと、他にもいろいろ思いつくでしょうから、それに替えてみるのもいいですね。)

(1) まわりの人に「いい人」だと思って欲しいためにする行動は、逆の結果しかもたらさない、ということをエゴに認識してもらいましょう。

「この人に「自分のできること」を心から気前よくしてあげる(というかさせて欲しくてたまらない)」
「この人に「いい人」だと思ってもらえなかったらどうしようという恐怖から、何かをしてポイントを稼ごう」
この二つの違いは、ほとんど相手に見破られています。
だから後者をいくら続けても、相手は自分のことを「どうでもいい人」以下にしか認識しない、ということをエゴに納得してもらうわけです。

(2) そもそも人は、「いい人」だから大切に思ってくれるわけではない。だから、「いい人」だと思われることには、何ら利点はない、ということをエゴに納得してもらいましょう。

(3) 自分の最大の理解者は、自分なので、まわりの人のことを気にする暇があったら、自分のことをもっともっと好きになって、自分のことを精一杯に無条件で愛してあげましょう。

ある人に愛の無い言動をされてしまったら、それは自分が自分に対して愛の無い言動をしているのを、「鏡」として見せてくれたんだと思って、より一層自分を愛することに励みましょう。だって、誰よりも大切なのは自分ですもんね。


そうやって、

「自分はこんなに『いい人』なのに、どうしてまわりは理解してくれないんだろう。それどころか、まるで自分が『悪い人』であるかのごとく、批判されたり非難を浴びせられる。あぁ自分はなんてかわいそうなんだろう。」

というのが

「自分はこんなに「自分」のままなのに、どうしてまわりは理解してくれるんだろう。それどころか、まるで自分のことを『宝物』であるかのごとく、大切に尊重してくれる。あぁ自分はなんて幸せなんだろう。」

に替わってゆくのを楽しめれば、この症候群は見事に完治いたします。


みなさんに愛と光を!( もりおん )

「いい人」だと思われたい症候群(治療法)を書いたあと、なんか心がもごもごするので、探ってみました。
それでわかったのは、自分にとっては結構衝撃的なことでした。

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だって、ごく一部なんですけれど、自分にとってとても大切な部分に、「いい人」だと思われたい症候群が残っていたのですから!

勘が鋭い方はお判りかと思いますが、「恋愛」絡みのところに、しっかり残っていました。

他の誰に対しても、「いい人」だと思われたい症候群は消滅しているのですが、ただ一人Rに対してだけは残っている、それもかなり。<汗>

これでは上手くいきません。

それで、治療を試みたところ、今日のLINEでのやり取りに変化が見られました。 (^O^)

ただ、それだけで満足せずに、もう一度「自分を愛する」ということを考えてみようと思って、バーソロミューを読み返しています。(たぶん10数回目です。)

せっかくですので、その中から付箋が付いていたところを、引用してみます。

ひとり心静かにすわって、「私は自分を愛しています」と唱えはじめると、自分のなかでいやだとかよくないと思っていることが、次々と頭に浮かんできます。「私がこんなにダメな人間でなかったら愛せるのだが‥‥‥」、「嫉妬深くなかったら‥‥‥」、「怒りっぽくなかったら‥‥‥」、「こんなに太っていなかったら‥‥‥」、「こんなにやせていなかったら‥‥‥」など、今まで考えたこともなかったようなことまで、次々に浮かんでくるでしょう。こうしたリストを紙に書きとめてみてください。とにかく書きだしてみて、それからどんなに時間がかかってもいいですから、その内容を逆のものにしてください。「ダメな人間である、そういう自分を愛します」と書き換えます。今まで自分で愛そうとしなかった部分、さげすんできた部分のすべてを愛する努力をするということです。

(バーソロミュー p.94 より)


みなさんに愛と光を!( もりおん )

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